記憶のしくみってどうなってるの? [つぶやき]
ー1歳7ヶ月の頃の写真。
私の記憶の中でいちばん古い記憶がこのとき。
そこは、自宅付近の空き地。
カメラに向かってリラックスしているからきっと母が撮影しているのだと思う。
お気に入りのベレー帽に母の手編みのセーターを着て。
このあと、父におんぶしてもらい、右に緩やかにカーブされた砂利道を下っていく・・・。
気が付くと、
父の会社の従業員の方たちに囲まれていた。
おじさんたちが目の前を取り囲み、一斉に話しかけるものだから、
私は怖くて、ビービー泣いてしまう。
涙目になっているフィルターからおじさんたちを見ている当時の映像がいまだに鮮明に頭の中に残っている。
ー2番目に古い記憶。2歳の誕生日。
大阪の母の実家で、親戚が大勢集まり、苺のショートケーキでお祝いしてくれている映像。
叔父のひざにちょこんと座らせてもらい、目の前にある苺のケーキを眺めながら、嬉しくて嬉しくてたまらない心境であったことを覚えている。
ー3番目は、2歳2ヶ月のとき。
母が弟を出産するために実家に帰省していた。
母が入院している間の2週間ほど、祖父母と叔母が世話をしてくれていたのだが、その間、大好きな鮭ごはんを毎日おなか一杯食べながら、母がいなくても私は大丈夫!と強がっていた記憶。
そして、弟が生まれ、母がいよいよ病院から戻ってくる当日。
外には車が停車した音。
叔母が玄関を開けると、タクシーから降りてきた母の腕の中に、産まれたばかりの弟がおくるみにくるまっていた。
タクシーの色は白地に緑色のラインが横に一本、入っている。
母を見るなり、ひとこと、私。
「あ、おかあさんだ!」
と待ちに待っていた母との再会で嬉しさのあまり叫んだことを覚えている。
・・・このように、幼い頃の遠い遠い記憶の数々が、今でも鮮明に蘇ってくるのだ。
それなのに、私ったら、どうして?どうして?
おかしなもので、
最近では、昨日何を食べたのかも咄嗟に出てこなかったりするのだ。
オンエア前に必死に1週間の経済ニュースを頭にたたきこんでも、いざ本番を迎えると
あらやだ、スパッと忘れていたりすることもしばしば。
人がこの世を去る前に、これまでの人生の記憶が走馬灯のように一度に目の前に映し出されるなどという話をよく聴く。
きっと頭の中にはこれまで生きてきた記憶が全てストックされていて、
必要に応じて、情報が出たり入ったりしているんだろうな。
いったい、脳の中で記憶ってどのように整理されているのか。
こころって、いったいからだのどこにあるの?
というテーマと同じように、記憶のメカニズムを考えていると
なかなか眠れない。
その上、ある記憶の箱をあけたら、枝分かれのようになって整理されている関連の思い出たちがまるで連想ゲームのように次々と出てきてしまって収集がつかなくなってしまう。
あらやだ、ごめんなさい。この連休中アルバムを眺めていたものだから。
ぐだぐだ分けのわからない話を書いてしまいました。
ーどなたか、記憶の構造をご存知のかた、いらっしゃいましたら教えてください。
2009-05-08 01:07
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我々はどこから来たのか
我々とは何か
我々はどこへ行くのか
これは永遠のテーマです。
心や記憶への疑問も
このテーマを解決せずして回答を得るのは不可能でしょう。
なぜなら
心や記憶がなぜ存在するのか、ということすら
我々はまだ理解できていないからです。
言い換えると
そこに転がっている石と、我々との区別すら
本質的には曖昧だということです。
宇宙の始原を探求するのと同様
精神の探求は難しいものです。
ま、学者でもないかぎり
あまり深く考えない方が無難でしょう。
それとは別に
幼い頃の良き思い出は
いつまでも大切にしておきたいものです。
覚えなくてはいけないことよりも
忘れてはならないことの方が
はるかに重要だと思いますよ。
by マネー・ゲーム (2009-05-08 15:22)
まずは、2歳前後のこと よく覚えていますね~~!
すばらしいです。 ぼくはスッカリ・・・^^:
最近のことは・・・だからだよん^^。皆同じぃ~(^^)
by しげ (2009-05-09 06:45)